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インタビュー画像代表取締役社長 鷺 弘樹 二代目社長。創業者の長男としていわき市で生まれ育ち、東京の大学で物理を専攻。 卒業後、株式会社三菱総合研究所に入社。 10年間コンピュータの研究員として活躍。その後、いわき市にUターンし父親の 会社に取締役として入社。2005年、40歳で社長に就任。 いわき市民コミュニティ放送(FMいわき)代表、職業訓練法人いわきコンピュータ・ カレッジ副理事長、東日本国際大学・いわき短期大学客員教授、一般社団法人福 島県情報産業協会代表理事(会長)。

IT業界でのキャリアは?

父が東日本計算センターを創業した前年にいわき市で生まれ高校まで地元で過ごしました。その後上京し早稲田大学に進学して物理を学び、卒業後は面白い仕事ができそうだという気持ちでシンクタンク「三菱総合研究所(以下三菱総研)」に入社、コンピュータの研究員となりました。父親と同じITの仕事に就きましたが、当初会社を継ぐ気持ちは頭にはありませんでした。 大学を出て三菱総研に入社した平成初期は数多くの産業界で日本企業が世界をリードしており、シンクタンクの研究員として先進的な研究開発プロジェクトに数多く関わることができました。 いくつか挙げると、CAD/CAM向け3次元曲面オフセットデータ生成の研究開発、マルチクライアント(化学系企業40社が参加)プロジェクトの高分子材料設計支援システムの研究開発、通産省(当時)の第五世代コンピュータ技術開発機構(= ICOT)プロジェクトへの参加、造船業の全プロセスをオブジェクト指向で分析設計、ODBでの開発環境を構築した造船CIMSといったプロジェクトなどです。 入社から30代前半まで、常に新たな顧客(産業分野)、新たな専門知識、そして新たなコンピュータ技術を学びながら仕事をする毎日であり、得難い経験と成長をすることができました。 三菱総研の方々とは今もOB会に在籍・交流させて頂いており、心から愛着と感謝の気持ちを持っています。

地元に戻り東日本計算センターに入社した理由は?

毎日が刺激的でハードワークの三菱総研時代、自分にとってのリフレッシュは夏休みに帰省していわきで昔ながらの海水浴をすることでした。 そのように都会と地元のそれぞれの良さを理解し、どちらもありだと実感していくうちに、日本でまだ商用コンピュータが珍しい1965年に地方都市いわきで創業し、地元に根ざしつつも首都圏進出や事業領域を絶えず拡大変化させてきた東日本計算センターの価値を理解できるようになりました。 たまたま大きなプロジェクトの区切りがきたこともあり、自分の将来をあらためて考えた結果、三菱総研で頑張っていくことも大変魅力的ではありましたが、東日本計算センターにて父親が興した事業を手伝い、地元貢献や地方と東京の両立を企業経営者として目指すことを決断しました。 その後自分の意思を父に伝え、お世話になった三菱総研に引継ぎなど一年間礼を尽くしたのちに東日本計算センターに新規事業担当の役員として入社しました。 自分は三菱総研でコンピュータや科学技術、そしてビジネスなどの経験は多少積んでいましたが、企業経営や地域との関わり方など経営者としての経験はなかったため、経済団体などの地域コミュニティに積極的に参加するとともに、父の行動や話から多くを学びました。 当時、社長室で二人で色々な話をしていたらすっかり夜になっていたという日々を懐かしく思い出します

代表取締役社長に就任したのは、どのタイミングですか?

新規ビジネス担当役員から専務取締役として事業全体を統括する仕事を行ったのち、創業40周年を機に父親から経営のバトンを受け取って代表取締役社長に就任しました。 当時の東日本計算センターは、私の父を中心に経営陣が強固な絆で結ばれていましたが、世代交代と若返りを図るため長年に渡り会社を支えてきた役員の方々にも勇退してもらうことになりました。 トラブルが発生すると誰よりも先にお客のところに飛んでいく常務など、番頭と言えるほど頼りになり尽くしてくれてきた方もおりましたが、父は「私を信じてついてきてくれた人なので、勇退については自分から話をするのが筋だ」と言って二人きりで話をしてくれることとなりました。 その父の話を聞いた常務の一言目が「申し訳ありませんでした」だったとのことです。 「状況を察して会社のために自分から引退を申し出なければならないところ、社長にそのようなお気遣いをさせてしまいました」との言葉が続いたと聞いて、父と創業から苦楽をともにしてきた人たちの絆の深さに感動し、自分の代もそのような絆を作らなければならないと強く思いました。

代表取締役社長になって、どんな仕事をしてきましたか?

これまでリーマンショック、東日本大震災など多くの困難もありましたが、そのたびに社員全員で乗り越え、強くたくましくなって立ち上がってきました。 近年ではDX分野での社会要請に応えつつ、R&Dセンターの産学連携や市内の廃校を活用したロボットドローンAIの研究開発、社内スタートアップの立ち上げなども行っています。 技術を究めたい社員、ビジネスチャレンジをしたい社員、様々な意欲を持った社員がお互いに敬意を持って活躍できる企業を目指しています。 そして自社の歴史を分析した結果、今後も生き残り成長していくために「変化と不変」の大切さを社員の皆さんと共有しています。 創業の「計算センター」業態だけでは我々は昭和の時代に倒産していたはずです。 現在の多様な業態と活動範囲があるのは生き残るために必死に変化してきた結果です。 話題のOpenAIなどに象徴されるように技術進化の速度は今後ますます上がっていくため、これからも勇気を持って変化に踏み出して行き、それを楽しめるくらいまで努力して自分たちのものにしていきたいと思っています。 同時に仕事や顧客に対する誠意や頂いた信頼など時代を超えて変えてはならないものは、歯を食いしばっても守っていく覚悟です。 また我々は「地域にこだわり感謝しつつも地域に甘えない」全国区のICT企業を目指しています。 お客様やライバルは、全国場合によっては世界を見据えた活躍をしています。我々の意識や活躍する舞台も同じです。 その覚悟で本当に素晴らしい仕事をすれば地方と首都圏の区別はもはや無意味となり、時間や空間は超えられるものだと信じています。 そしてそのような覚悟と経験知を持つICT企業こそ、地域社会や地域経済の期待にも応えられると思っています。

いわき市の魅力は?

どの地方都市にもそれぞれ魅力があると思いますが、温暖な気候と豊かな自然が一番の魅力だと思います。いわきのイメージは抜けるような青空です。 いわき市は東北地方ですが太平洋に面しておりほぼ雪が降りません。日本海からの雪もいわきに来るまでに振り切って冬も晴天の日が多いです。 夏も涼しく過ごしやすい気候ですので、市内10コースあるゴルフやマリンスポーツ、サイクリングなど美味しい海産物に加えて通年で地方ならではの楽しみが味わえます。 そして東京から約200キロという距離は車でも2~3時間であり、首都圏からのアクセスはとても良い地域だと思います。 前述したように我々は都会(東京)と地方都市(いわき)の二者択一の社会ではなく、ともに成り立つ双方の良いとこどりの社会を企業活動を通じて目指しています。 当社の社員の活躍の場は多種多様ですので、我々の創業の地であるいわきについても興味を持って頂けたら幸いです。

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池田 飛鳥
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