メイン事業は、商社と製造のどちらですか。
売上の比率は商社の方が高いです。ただし、商社と言いましても、国が決めているカテゴリーで商社となっているだけで、当社は、実態としてはファブレスメーカーに近い機能を果たしている企業です。社内には製造部門もありますし、国内外には工場も持っています。外部の協力工場に製造を委託する場合でも、単純に右から左に移すだけの仕事はしていません。お客様の課題やニーズを伺って、約1,000社の協力会社を背景に、いかに課題を解決し、ニーズを満たすかを探っていきます。時には部品図を引かせていただくこともあります。私が入社した当時も、ファブレスという言葉はありませんでしたが、単純に既成品を流すだけの仕事ではなく、貸与図面といわれる、顧客が引いた図面に対して金型起工したり、形にしたりして納める仕事をしていました。 当社のポジショニングを示す上で分かりやすいのが自動車の領域です。車載メーカーは明確なピラミッド構造が出来上がっています。まず頂点に自動車メーカーが存在し、その下にTier1、Tier2、Tier3、Tier4が連なっており、それぞれ明確に役割が定義されています。Tier1は自社で部品の設計開発ができます。Tier2は設計開発部がありませんが、工程設計能力を持ち、Tier1から依頼された対応図面に沿ってものを作ります。当社は自動車業界では、このTier2にポジショニングされており、Tier1からのご依頼に対して、Tier3等のメーカーを使いながら実現させる仕事をしています。 家電や電子機器、住設の分野も同様です。自動車業界のような明確な構造はありませんが、ものづくりの上流から関わり、お客様と一緒に課題を解決してきました。ノートパソコンや携帯電話、自動掃除機能付きエアコン等、当社が関わったことで実現し、普及したものも少なくありません。どんなに大手でも自社の技術で全て賄っているわけではありません。逆に、メーカーは自社内のことしか分かっていません。我々は樹脂系、金属系、その他ものづくりのコアとなる生産材を取り扱ってきました。そこで培った知見やノウハウを駆使し、コーディネートしながら、不可能だと言われるようなことも実現してきた実績があります。それが当社の強みでもありますし、働く人にとっては魅力でもあると考えています。
70年以上にわたり、事業を継続できた要因をお話しください。
幅広い領域に事業を広げ、お客様に密着しながら事業を展開してきたことが最大の要因です。 当社は1950年代、ゴムの卸から始まった会社です。その後、金型の普及とともに急速に大量生産の時代になり、エンプラと言われるプラスチックがどんどん普及していきました。その過程で、関西圏、東海圏、関東圏、中国、九州地方では様々なメーカーが工場を作りました。当社の事業が最も伸びたのは、1980年代のバブルの頃です。作れば売れる時代、日本の家電メーカーも現在の倍以上はありましたし、ある家電メーカーは、47都道府県全てに工場を置くとも言われていました。我々はそういったメーカーに歩調を合わせて拠点を展開し、お客様の痒い所に手が届くような対応をしながら発展してきました。 1990年に2代目の社長に変わってからは海外展開に力を入れました。その年に私が入社したのですが、90年にマレーシア工場を立ち上げ、その後一気に、杭州、大連、タイに製造拠点を作り、販売拠点として香港、深圳、蘇州、シンガポール、現在は閉鎖しましたが、スウェーデンに進出していた時期もあります。国内と同様に、海外でもお客様に密着したサービスを提供することで事業を拡大しました。 ただ、バブルが弾けて景気が悪くなると、自然と国内消費も落ちました。お客様も苦労されて、構造改革を行い、工場を閉じたり、事業統合したり、様々な取り組みを行ってきました。その中で当社が一定の売上を保ってこられたのも、家電領域だけでなく、車載領域や住設領域に仕事を増やしていったことが大きな要因であると考えています。
現在注力していることをお話しください。
当社は現在、新しいビジョンを策定した上で、構造改革に取り組んでいるところです。バブル以前の経済が伸びていた頃は、いち早く作って、デリバリーすることが求められていました。作るものは沢山ありますので、とにかく対応できることが求められていたのです。しかし、現在はそういう時代ではありません。これまで以上の価値提供ができる企業に生まれ変わらなければなりません。 従来の営業は「こういうものができました。良いでしょう」と持っていくスタイルが基本でした。しかしよく考えれば、それはこちらの都合を優先した売り方です。我々は展示会等で常にアンテナを張っていますので、新しい技術に敏感です。新しい技術が出てきた時に、お客様が望んでいるか、望んでいないかにはかかわらず、それをそのまま紹介していました。しかし、その技術がお客様のニーズに合致しない限り、事業としては成り立ちません。Appleをはじめ、Googleやサムスン等の世界的な企業は、まず市場で求められているものは何かということから入って、それを実現するためには、技術を含めて何が必要かを考えます。「こんなものができました。良いでしょう」というのは自己満足の世界です。我々も反省をして、変えていこうとしているところです。 そのために取り組んでいることは、お客様が気付いていない潜在ニーズを当てられる力を備えた営業部隊の育成です。これまでのように過去の成功体験や人脈に頼って数字を作る手法は行き詰まっています。客先の担当者の言葉だけではなく、IR情報等も読み解きながら、その企業が目指しているものを実現するため、本質的に必要なことは何かを総合的に判断し、提案できる力が求められています。 ただ、人は過去の成功体験にしがみ付きたがるものです。我々が言葉で言っても伝わりませんので、そのための研修を長期的な計画に基づいて実施しています。同時に、ビジョン実現に向け、全社員がどのような行動を取るべきか指針を示し、浸透させる活動も行っています。
社員のマネジメントにおいて大切にしていることをお話しください。
最近感じていることは、社員一人ひとり、違った対応をする必要があるということです。 私は8年間、海外で仕事をしていました。それは私の人生の中で最も考え方を変える経験になりました。よくダイバーシティ、多様性という言葉が使われますが、その国々の人達の宗教や文化といったものを本当に理解して向き合わない限り、その地域社会での事業が上手くいくことはありません。その視点が欠けているがために、多くの日本の企業が失敗をしてきました。日本の企業、特に製造系は優秀です。それだけに、こういうやり方をすれば間違いなく利益が出るという揺るぎない自信を持って進出していきますが、そこで働く人達のことを理解しなければ、上手くいくわけがありません。 特に私が赴任していたマレーシアは多民族国家です。イスラム教徒、ヒンズー教徒、インド人、中国人、さらに一部にはインドネシア人もいます。しかも国家制度のベースは、イギリスが統治していた時代に完成されたものです。そのような複雑な社会で育ち、生活をしている多様なバックボーンを持った人達に対して、一律な話し方をしていては通じません。同じ指示をするにしても、同じやり方ではなく、それぞれに合わせて変えることが大事だということを思い知りました。 ところが、そう思って日本に戻ってきましたが、日本の中でも同じことが言えるな、と感じます。日本の中でも、東北、関東、東海、関西、九州と、それぞれに異なる地域性があり、それぞれの地域で栄えてきた産業も異なりますし、そもそも一人ひとりが異なる人間です。伝え方や育成の仕方等、全員に同じやり方を適用することは、そもそも無理があることだと感じています。 昔のように「俺の背中を見て覚えろ」という育成スタイルは通用しません。まずは、そういったコミュニケーション文化や指導方法を根付かせるために、現場のマネージャークラスのスキルを上げる取り組みから始めています。
求める人物像をお話しください。
私自身が大切にし、スタッフにもよく言っていることがあります。現在のような情報化社会になり、テレビ番組等では成功した人の特集を組むことも少なくありません。例えばApple社のスティーブ・ジョブズ氏等、功績を残した方々を見ると、すごいなと思います。しかし、社会の圧倒的多数は凡人が占めています。平凡な人が真面目に、地に足を着けて働き、生活している。それこそが一番大事だと思っています。 仕事も同じです。我々が求めているのは、飛び抜けて秀でたホームランバッターではありません。真面目に着実に進んでいける方は、それを続けることによって、将来、飛躍的に成長します。新卒で就職しても、3カ月続かない人が多いようですが、自分の仕事に対する適性を本当に理解できるには時間がかかります。「石の上にも3年」という言葉は、「3年座っていると、石の上が温かくなって、初めて分かってくるものがある」という意味です。私は、仕事はまさにそういうものだと考えています。続けてみて、初めて何かを少しだけ感じられる。さらにそれを続けていくことによって、私の言葉で言えば「仕事の味」が分かるのです。 ブラック企業は別として、普通の会社であれば、それぐらいの年数を過ごしたとしても、後れを取ることにはなりません。仕事とはどのようなもので、自分の適性がどこにあるのかを理解するきっかけは、それぐらいの年月を経なければ見つけられません。その過程で、営業を志望して入社した人が、何らかのきっかけで「自分はマネジメント側の仕事に長けている」と気付くことも起こり得ます。当社では、そのようなキャリア変更も、特別なことではありません。 自己実現できる人は、真面目に、愚直に、地に足を着けて進んでいける人です。当社が求めているのも、そのような人物です。