越邑さんの略歴をお教えください。
16歳の時に単身で渡米し、32歳までアメリカのシアトルで過ごしました。現地の高校から大学の電子工学科に進み、卒業後、現地の航空宇宙機器開発製造会社に入社して制御系エンジニアとして8年間働きました。グリーンカードも取得しましたよ。 92年に帰国。NTTの研究所グループの子会社へ入り無線LANを日本に初めて導入する仕事にかかわりました。構内LANを構成するパソコンやプリンターといった端末に組み込むハードやソフトを、アメリカのベンダーと独占契約を結んで日本市場に持ってくるという仕事です。当時は日本語のほうがうまくしゃべれなかったことを覚えています(笑)。 NTTグループ会社に5年ほどいた後は、ルーセント・テクノロジー(現・アルカテル・ルーセント)という世界的な情報通信機器メーカーに転じました。それまで音声系が中心であったところ、データ系の会社を買収しデータ部門を立ち上げたのですが、その業務を担当しました。ルーセントはあのベル研究所を持つ通信機器の名門であり、世界最高レベルの技術に接する貴重な経験ができました。 そして、2000年に当社の社長としてスカウトされ、3年間という条件で引き受けることにしました。というのも、私はほかにやりたいテーマがあり、いずれ起業するつもりでいたからです。
実際は今日までインフィニコの経営者を続けておられますが、その経緯をお教えください。
会社はその後、存続のために資本構成や事業内容の見直しを図る必要が生じました。お引き受けした限りは後には引けないと、自分の考えで会社をつくり直そうと決め、この手で社員を集めるなどして改革を進めていったのです。自分のやりたかったテーマとは違っていようが、企業経営には変わりありません。そうやって会社をつくり直していくことは大変でしたが、刺激的で面白く、人生修養にもなっていると感じたからこそ今日まで続けていられるのだと考えています。今では、このインフィニコをさらに発展させていくことこそ自分のミッションであり、情熱を注ぐ対象であると考えています。 仕事とは、人が“胆識”を磨く修養の場であるという認識が私にはあります。胆識”とは、“知識”や“見識”のさらに奥にある、自身の信念に基づいて判断した時にそれが是であるならば、いかなる困難があろうとも実践し遂行し続けるという強さの根源を表す言葉です。
“胆識”という言葉が出ましたが、越邑さんの「仕事観」についてお教えください。
東日本大震災の後、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が来日し、同大学で最も人気のある講義の「正義」をNHKの番組で展開して話題となりました。私はそれに共鳴し、当社でも1年間にわたって社員に「ビジネスにおける正義とは何か」を考えてもらう時間をつくりました。なぜならば、何のために朝から晩まで仕事をするのかをしっかり考え、納得して働いてもらいたいからです。また、私は経営者を育成したいという思いもあるので、経営者に必要なマインドを吹き込むというねらいもあります。 ビジネスの第一の目的とは、収益を上げることだと思われるでしょう。必ずしも間違いとはいえませんが、ビジネスの目的とはそれを通じて社会に貢献することであり、収益はその結果なのだと思います。そこを間違えると、企業は続かなくなります。間違えないためには、正義とは何かをしっかり認識し、踏み外さないことが大切だということです。 また私は、事業を推進させるためには、“バックボーン”“ウィッシュボーン”そして“ファニーボーン”の3つが必要だと思っています。いわば、経験・能力、「こうなりたい」という意志、そして仕事を楽しもうとする精神です。この精神を忘れず、経営や人材育成に当たっていきたいと思っています。
経営者育成への思いがあるとのことですが、人材育成方針とはどういったものでしょうか?
スキルも重要ですが、スキルだけでプロの仕事はできないという考えが根底にあります。また、スキルはいずれコンピュータに置換されてしまうでしょう。私は、プロフェッショナルには仕事そのものへの意欲や向上心、品質への強いこだわり、自発性、ぶれることのない考え方の軸といったものが絶対に必要だと考えます。こうしたことを、実際の仕事を通じて社員一人ひとりに教え込んでいます。 具体的には、当社では100の能力があるにもかかわらず90%しか発揮せず結果90点の人よりも、80しか能力がなくても110%発揮し結果88点の人のほうを高く評価します。そうした考え方のもと、社員一人ひとりに、持てる能力を少し上回る力を発揮しないと乗り越えられないハードルを設定して業務に当たってもらっています。常にストレッチです。「『現状に満足』などもってのほか」というポリシーを徹底しているのです。ですから、1年も経つと見違えるように成長する社員がたくさんいます。 私は長い間アメリカにいて、外から日本を見て日本人として歯がゆい思いをしていました。そんな思いが、人材育成ポリシーの根源にあるのかもしれません。
アメリカから日本を見ていた結果、御社をどんな会社にしていこうと考え、どんなことを実践されているのでしょうか?
GDPで世界第2位の経済大国であろうが、当時アメリカでは日本人は下に見られていましたね。それを非常に悔しく感じていました。また、近年では韓国や中国など新興国の進展の陰で日本企業は色あせてしまいましたね。このままでは、子どもたちの世代に申しわけないとも思ったのです。そんな思いが重なって、日本企業を少しでも輝かせたいとの思いに至っています。 当社は製品の企画・開発・設計まで行い、製造はあえて東北地方にあるEMSメーカーに委託しています。中国や台湾、東南アジアのメーカーに委託すれば安上がりなことは百も承知ですが、私は“Made in Japan”にこだわりたいのです。利益を追求すべき企業経営者とすれば合理的な判断ではないかもしれませんが、当社の事業目的は金儲けが第一ではありません。 資源のない日本は、人材で勝負するしかありません。まことに微力ではありますが、当社で一人でも多くの経営者を育成し、その経営者がまた人材を育成し、という形で裾野を広げていきたいと思っています。私がアメリカや日本の企業で経験してきたありったけの知識と経験、そして“胆識”を注ぎ込んでいく所存です。