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インタビュー画像CEO 田村 司氏

デジタル広告の世界に飛び込むまでのキャリアは?

高校卒業と同時に陸上自衛隊に入隊しました。約3年間、静岡の駐屯地で普通科連隊の施設小隊に所属し、地雷処理や陣地の構築、射撃、大型トラックの輸送など様々な訓練を受けました。毎年のように富士山の頂上まで高重量の装備をつけて登頂したり、1週間を極寒の山で寝泊まりするなど大変な日々でしたが、24時間衣食住を共にするので信頼できる素敵な仲間にも恵まれました。 自衛隊は国家公務員と呼ばれる国営組織です。規律が徹底されており組織の統制を最も重要視しています。大隊、中隊、小隊と規模は様々ですが、皆が一丸となり団結して厳しい訓練を乗り越えていくので、やりがいを持てる職場環境でした。ただ同時に個性を押し殺さないといけなかったり、効率よりもルールを遵守しないと怒られてしまう縦社会に違和感を覚えるようになり、3年勤務後に除隊しました。 その後、21歳の時に東京・渋谷にある広告代理店に就職しました。楽観的な性格だったので当時は仕事内容も理解せず「自由があって、面白そうな会社!」という勢いだけで入社。光通信社の出身が多くゴリゴリの営業会社だったので、初日から洗礼を受けました。テレアポでひたすら契約を取る日々。1日100コールは当たり前で強引な営業も推奨されており、毎日が戦場のように感じました。 当時の私は、口下手でWeb広告に関する知識も全くなかったので同期からは「田村くんだけには負けない」とよく冗談半分で言われていました。同期は8人ほどいたんですが、朝から晩までひたすらテレアポして毎日が疲労困憊。自衛隊の時が楽だったと感じるほど厳しい環境だったのでみんなすぐに辞めていき、新しく人が入ってもすぐいなくなるの繰り返しで、結局残ったのは私一人だけでした。

3年で取締役になれたのは、なぜですか?

時代はスマートフォンが普及し、人々が本格的にガラケーから移行する変革期だったので、毎月のように変わる広告商品をひたすら販売する日々でした。中でもウィルスソフトをDLしたユーザーに対してポップアップ形式でバナー広告を出せる新規商品を販売することになった時は一番キツくて、営業トークで売っても効果が出ない。お客様からクレームを受ける。そうしたら、別の広告を案内する。同期も全員いなくなり毎日が自分との戦いでしたが自衛隊で鍛えた精神力で広告を売りまくり、入社3ヶ月でチーフに昇進。けれども、そんな広告で取引先のリピートは得られずはずもなく数字もすぐに落ちていき、人に誇れない商品を販売するのに罪悪感を覚え、かなり悩んでいました。 「もう辞めたいです」と周りに相談し、瀬戸際まで追い込まれていたんですが、そんな中でも助けてくれる先輩方の支えもあり「もう少し頑張ってみるか」と負けず嫌いの性格に火がつき、必死に新しい広告を探していました。 そんな時に記事型のネイティブ広告に出会い、これはいける!と確信に変わりました。 この広告手法は今でこそ一般的になりましたが、当時はまだ新しい広告手法でした。私はこの記事型のネイティブ広告に着目し、当時海外で流行していたグリーンスムージーのメーカー様の協力を経て配信を始めました。試行錯誤しながら何とか広告記事が完成し、実際にリリースしてみると嘘みたいに飛ぶように売れたんです。「もう在庫がなくなる」と嬉しい悲鳴の声が出て、どんどん媒体の枠を広げて大量に記事を作りました。広告でグリーンスムージーを一番売った自信があります!笑 ちょっと前までは結果の出にくい広告しか打てなかったのに、取引先から「あなたのおかげで業績が絶好調です」と喜んでいただいた時は、本当に感動して夜も眠れませんでした。 お客様にとって有益な広告を提供できるのが嬉しくて、記事型のネイティブ広告をどんどん販売しました。結果主義の会社だったので、自身の数字が上がるのと比例してリーダー、マネージャーとトントン拍子にポジションが上がりました。 まさに業界の追い風を全身に浴びて、会社規模も拡大し自衛隊時代に培ったチームプレー精神をマネジメントで活かすことができました。自身の部下も20名まで拡大しメンバー1人1人が結果を出せるようになり歴代過去最高売上、粗利を達成。24歳の時に取締役に就任しました。

Tenvarsを創業したきっかけは?

21歳で入社した広告代理店で、未経験でもたった3年で取締役まで上り詰めたことが自信につながり、28歳の時に広告の世界から飛び出して、他業種に挑戦するため独立を選択しました。toCビジネスをしたいと思いエステサロン、アパレルブランド、美容ブランドなど多岐にわたる事業を展開しました。 ですが、スタート当初は苦難の連続でした。 若気の至りといえばそれまでですが、サーフィンと一緒で広告業界では上手く波に乗れた。次は自ら波を起こす、と勢いよく始めたものの失敗続き。改善しようと色々な策を投じても一向に良くならず負の連鎖に。そこで自分自身の過信に気づき、大きな挫折を経験しました。 私は、「やりたいこと」よりも「やるべきこと」を改めて考え、広告業界に戻る決意を固めました。ただし、以前と同じ仕事を繰り返したいとは思いませんでした。Web広告業界は競争が激しく結果至上主義が多いので、予算の大小や利益率に固執したりとマネーゲームと捉えてしまうことが少なくありません。自身もtoCサービスを経験したからこそ広告に投資するお金の価値について身に染みて感じるようになりました。広告業界に戻るとしても、利害だけでなく真にクライアントの利益に貢献できる会社を作りたいと考え、その上で自分と関わっていただける周りの人たちが毎日を躍動できる仕事の実現、家族や友人を大切にできる環境を作りたいと毎日のように思考しました。 考えた先に見つけたアイディアが 1つ目は、メーカーと二人三脚で実現する広告のカタチです。 弊社では、最高の結果を出すためにも自分たちで販促する商品を利用したり、深掘りしてリサーチすることを心がけています。記事型の広告とは顧客体験をより具体的に提示するコンテンツであり、我々が実際に使いたいと思える解像度でないとリアルな訴求は実現できず、上辺だけとなってしまいます。またデータ分析だけでは捉えきれない部分を、作業工程を全て内製化させることで携わるメンバーの一人一人がユーザーサイドと同じ目線に立ち、仕事に取り組むことができます。消費者の声に耳を傾けることで根本的な課題解決に取り組むことが可能となり、新たな顧客体験の訴求軸を発見するキッカケにも繋がります。Tenvarsではメーカー1社1社と真摯に向き合うため、不必要に取引数を増やすことはありません。商品やサービスの一番のファンとして広告を手掛けることにより、伝える力は大きくなり正しいファンを獲得できる広告が実現できると信じています。 2つ目は、越境マーケティングです。 日本は人口減少、少子高齢化、貧困層の拡大など抱えている問題は山積みです。 国境を超えてモノを売ることは、言語や文化、法律の違いなど様々な障壁があり、難しさもありますが、逆に成功すればブルーオーシャンとして世界80億人のマーケット戦略が打てる魅力もあります。 弊社では隣国である韓国越境の総合支援に特化し、現地、国内にも多くの韓国人スタッフが在籍するグローバルな企業へと進化しております。海外で展開する自社ECをはじめ支援する企業様から喜びの声もいただけるようになり、最近では日本で売れなくなった在庫を抱えてる企業様をブランドリポスティング戦略により韓国でヒットさせることにも成功しました。 あくまでグローバルマーケティングを完成させるための序章ではありますが、美容大国の韓国で成功できれば、他国でも権威づけとなり大きな武器になります。 今後は東南アジア、欧州を中心に進出国を広げ、グローバル支援企業としてTenvarsが架け橋となれるよう成長を続けています。 この2足の草鞋を武器にTenvarsでは【言語の壁をなくしグローバルマーケティングを当たり前にする】ことを掲げ、常に自分成長を意識し、仕事に熱量を持つメンバーと一緒に日々邁進しています。

スタートアップ企業で働く魅力は?

スタートアップ企業の世界は、学歴も職歴も関係なく誰でもチャレンジできる点が魅力だと思います。いい大学を出て、いい会社に就職すれば、安定を手に入れることができるかもしれません。けれども、私のように決まったレールの中で人生を進めることに違和感を覚える方も一定数いるはずです。 スタートアップ企業では自由や裁量が持てる働き方ができる分、プレッシャーや仕事量の多さ、自分から仕事を取りにいく必要があるので、厳しい世界でもあります。 逆に頑張り次第で成功へ至る道は開けます。スキルや知識、高学歴は関係ありません。 素直と謙虚な姿勢で仕事に取り組み、目を背けず自分自身と真摯に向き合っていくことで自ずと答えが見つかっていきます。 当然向き不向きはあると思います。 「楽して稼ぎたい」「自分の好きな仕事だけしたい」「プライベートを充実したい」など抱く方には正直お勧めはしません。 「自己成長をしたい」「熱量溢れる仕事に携わりたい」「仕事に意味を持たせたい」など考えている方にはスタートアップ企業はぴったりだと思います。 その分、かなり泥臭い業務もたくさんあるので、外から見るほど華やかな世界ではありませんが、その辛い経験を乗り越えた先には、たくさんのドラマがあります。 また弊社では広告に携わるだけでなく、商品開発、マーケティング、海外進出の領域も学べるので様々なビジネスシーンで必要となるスキルが定着できます。 私は地方で育ちで、東京には知り合いもほとんどいませんでした。 自衛隊は国家公務員なので、安定した職を捨てて渋谷のベンチャー企業に就職すると周りに話した時には、ほとんどの人から反対されました。「絶対に失敗する」「また自衛隊に戻ることになるぞ」「履歴書にキズがつくぞ」とか色々なことを言われましたが、挑戦したことを一切後悔していません。人生は一度きりだからこそ思い切って踏み出す勇気こそ賞賛すべき意思だと私は考えています。独立する時も同じです。安定した役員報酬や地位を捨てて「会社の看板がないと商品は売れない」「お前にはまだ早い」など散々言われましたが、自分の未来は自分で切り開くものです。 現代はSNSにより様々な人たちとの交流が活発になりましたが、一方で情報に流されてしまう人も増えたように感じます。 周りの人たちの声に耳を傾けることも大切ですが、鵜呑みにするとチャンスは失われています。意見は取り入れつつも、自分の考えを信じて臆することなく人生をより良くするための決断をしてほしいと心から願っています。

将来の夢は?

企業としては2つあります。 1つは海外進出国の拡大です。現在は日本と韓国が中心ですが、東南アジアから欧州、欧米と国を広げ世界の架け橋となる存在へ成長させることが目標です。現在もメンバーの約半数が韓国人とグローバル人材が多く、進出国の拡大に合わせて現地国メンバーも積極的に採用していく予定です。Tenvarsでは国境関係なく世界中の人たちが協力し仕事を取り組める環境を実現したいと考えています。 2つ目は日本のモノづくり技術を世界へ浸透させることです。 私の実家も元々自営業を営んでいました。小学校に上がるぐらいまでは、地元の商店街では有名な本屋さんで活気に溢れていました。 ですが時代が変わり大手企業が本格的に参入したことで、一気に衰退していき倒産。商店街にあった他のお店もどんどん潰れていき、衰退。当時は小さかったのであまり理解していませんでしたが、祖父祖母世代がなんとか立て直そうと必死にもがいていた背中だけは今も覚えています。結局うまくいかずに借金だけが残り、父は会社員の道を選び働くことに。 そんな経験から地方の事業に触れる機会が多く、世の中には知られていないだけで自営業や中小企業でもたくさんの素晴らしいモノづくり技術があります。父や周りの友人でも製造業関係の仕事をしている人がたくさんいて、話を聞くたびに信念を持って「いいモノを作りたい」と熱量に溢れている方が沢山います。私は東京でマーケティングや集客、海外展開などのノウハウを得てきたので、この経験を活かし世界で通用するモノづくりを実現させて、昔見た熱量に溢れた商店街のような街おこしをしたいと考えています。

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田村雪乃
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