前職では「カタリスト」と名乗っていた山田さん。特に忘れられないお仕事は何でしょうか
ある化粧品会社とのプロジェクトは、大きなターニングポイントだったと思います。美容部員のカウンセリングレベルをとても誇りにしている企業でした。そこで、店舗へ来られるお客様だけでなく、もっと多くの方々に触れてもらおうと、ビデオチャットでのカウンセリングが企画されていました。 しかし、その2011年当時は、現代のようにオンライン会議はほとんど普及していません。つまり前例がないんです。分からないことだらけで、一つひとつの情報やアイデアが命綱でした。 その中で私は、クライアントと同じくらいの距離感と熱量で臨みました。協力する他企業のコンサルタントや開発会社のエンジニア等、全てのステークホルダーが一丸となって、その中心に自分がいて。無事にリリースまで辿り着き、クライアントの社員同然に喜びました。 関わる全員を仲間として信じ、一つのことを成し遂げるのはこんなに面白いことなんだ。――そう強く実感できた仕事でしたね。
「人を大切にする」という御社の信念も、そういった経験から生まれたんですね
どのステークホルダーにも分け隔てなく接し、力を合わせてミッションを達成すること。これが私にとって、仕事の一番の醍醐味です。 実は一時期、仕事をセーブしていたことがあるんです。全国展開する小売チェーン店とのプロジェクトのPMを完遂した後のことです。そのプロジェクトは前代未聞なくらい大規模なものでした。やりがいと同じくらい大変なことも多く、1年ほど気が休まりませんでした。成功した時の達成感が大きかった分、なんだか私は燃え尽きてしまって。仕事は続けながらも、仕事の量はもちろん、人との関わりも最小限モードになりましたね。 でもそんな生活を半年ほど続けたある日、心が萎れていく感覚がしました。それで気付いたんです。「私にとっての生きがいは、強く一体感のある組織を作って、仲間と一緒に挑戦していくことなんだ」と。苦労もありましたが、あの壮絶なプロジェクトを経験したからこそ、自分の仕事観を見つけられました。
前職にも、山田さんを深く信頼する方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか
そうだと嬉しいですね。でも「まずいな」と思ったこともあります。 前職時代、資格を取得しようとコーチングスクールへ通っていた時期がありました。そのレッスンの中で、「自分の人間関係」を振り返るシーンがあって。いざ自分の交友関係を思い浮かべてみたら、なんと社内の人ばかり。社外の人はほとんどゼロの状態だったんです。仕事三昧の毎日だっただけに、会社の外の世界を見ることができなかったんですね。 そこで会社の外にコミュニティを作ろうと、アクティブに出向くようになって。そこで様々なベンチャー企業の方とお会いして、自分達の想いと力で世の中を変えようとしている姿に刺激を受けました。 実はかねてから、いつまでも大手企業の看板を背負って活躍することに違和感を覚え始めていて。自分の力で、そして自分の信念を貫ける組織で、強くクライアントを支えたいと思ったんです。そうして当社を設立することになりました。
そんな御社に集まった大切な仲間には、どんな思いを持っていますか
まずは、「ありがとう」と心の底から思っていますね。設立以来、右肩上がりの成長を見せているのは、みんなが“ファミリー感”と“スケール(目標達成)”の両輪で走ってくれているおかげです。 当社は「Citizenshipマインド(強い当事者意識)」として、尊敬・勇気・誠実・ボーダレスの四つを掲げています。メンバーはこれらを、マインド高く全うしてくれています。クライアントとも社内の仲間とも、自分ごとで関わる。ここまで一体感のあるコンサルファームは他にないと思います。 今期はさらに人材開発に力を入れるため、スキルはもっと高められると考えています。「Citizenshipマインド」と並行して、統合ITスキルというものも四つ制定しています。コンサルベース力やプロジェクトマネジメント力等ですね。こうして“マインド”と“スキル”の二刀流でさらに強くなれば、私達はもっともっと羽ばたけるはずです。
お仕事に全力投球な山田さんですが、リフレッシュできる時間はありますか
はい、あります。確かについつい仕事に夢中になってしまいますが、そんな私が一番ホッとできるのは、家族と過ごす時間ではないでしょうか。 休みの日は家でゆっくりしつつ、妻と出かけたり、子供とゲームして遊んだり。せわしなく仕事する私を見て、周りの人は「家族との時間は取れているの?」と心配してくれるんですが、楽しく過ごせていますね。 仕事もプライベートも、妻の存在が大きな支えになっています。私のどんな意志や行動も、信じて応援してくれるんです。私が「会社を作りたい」と相談した時も、「じゃあ、私は社長夫人だね」と一言微笑むだけでした。 社名の“プテロン”には「共にはるか高みへ羽ばたいていきたい」という思いを込めましたが、妻もしっかりと私と二人三脚してくれています。