ご略歴をお教えください。
大学を中退し、システムエンジニアの仕事をしたくて小規模のシステム開発会社にアルバイトとして入りました。技術は主に独学で身に付け、分からないところは周囲の先輩に聞きながら覚えていくという感じでした。しばらくして、正社員に登用してもらいましたが、自分に対する評価や待遇が自分の考えとは合わず、またその会社のビジョンに従わされるところにも違和感を覚え、ならば独立しようと2004年4月に23歳でフリーランスエンジニアになりました。退職後もプロジェクトは続いていたので、身分が変わってもそのまま続けさせてもらいました。そのうちに仕事が増え始めてきたので、2006年12月に必要に迫られる形で当社を設立し、エンジニアも雇うようになったという流れです。
会社を設立した時、どんな会社にしようと思いましたか?また、現在の到達度はどんな状況ですか?
そんな流れだったので、何か高い志を掲げて会社を設立したわけではありませんが、仕事を頼まれた人に納品して喜ばれ、対価が得られるということがベーシックなやりがいとなる。これはアルバイト時代も、正社員時代も、フリーランス時代も、経営者となっても変わりません。そういう意味では、人に喜ばれる会社にしよう、という思いですね。 2011年に『トビラフォン』をリリースして現在の迷惑情報フィルタ事業をスタートさせ、事業コンセプトが明確になった以降もそこは特に変わっていません。なぜならば、当社は迷惑情報フィルタだけの会社ではないという思いがその当初からもあるからです。 到達度という点では、2019年4月に38歳で上場した時は「33歳ぐらいで上場しておきたかった」と思いました。つまり、5年遅れの感覚がありました。今はそれが8年遅れぐらいになっています。この3年間、相対的にほとんど進歩できていないという感じですね。 大学を卒業せずにアルバイトで始めた時に目の当たりにした景色と、会社を設立して経営者になった時に見える景色は違います。その時、上には雲がかかっていて、自分が登ろうとしている山の頂上は見えませんでした。そして、株式上場して頂上に上ったと思ったのも束の間、また目の前には山があって、頂上が見えないという感じがしたのです。そんなことの繰り返しです。世の中には凄い経営者が沢山いて、最初から“世界”や“宇宙”といった一番上の頂上を目指している人もいるかもしれません。しかし、当社はこれからどんな高みを目指していくかを考える“第二の創業期”にあると考えているところです。
明田さんの仕事観をお聞かせください。
人とは、根本的に誰かに必要とされるために存在しているとの思いがあります。仕事はそのための手段の一つで、仕事を通じて生み出される価値が人に必要とされ、対価を得て生きることができる。したがって、100年生きる中でどれだけ人に必要とされるかが、自分の価値を決める重要な要素だと思います。社会に出てから職業生活を終えるまでの間、できるだけ多くの人に必要とされたいと思っています。
社員に対して、どうあってほしいかの思いをお聞かせください。
トビラシステムズの一員でいられて良かったと思ってほしい。それだけです。 当社の行動指針には、「私たちは素晴らしい未来を想像し、失敗を恐れず変化を続け、常識を疑いあるべき形を追求します」という一文があります。自分で自分の悪いところを見つけて変えていけないと、当社ではやることがなくなって、生き残ることが難しくなるでしょう。そういう点で、当社は厳しい会社だと思います。それぞれの立場に相応の責務を果たすことが求められます。だからこそこれを全うし、「トビラシステムズの一員でいられて良かった」と思ってほしいです。
オフタイムは、どういった過ごし方をしているのでしょうか?
8歳の長女、4歳の長男、1歳の次女の三人の子供がいるので、休日はもちろん、平日も時間をつくって育児をしています。ごはんをつくったり、オムツを替えたりと一通り何でもやりますよ。なぜならば、自分の人生の中で今は育児を通じて子供達や妻に最も必要とされる時期との思いがあるからです。 しかしながら、平日も育児に時間を割くことは経営者としては必ずしも良いことではないとの考えもあります。会社にとっては、経営者は経営に時間を割く方がいいに決まっているからです。一方で、自分が育児に関わることで家庭が安定していることが、間接的に経営に好影響を及ぼしているとも言えます。それらの間で上手くバランスを取っているという状況かもしれません。