ご略歴をお教えください。
滋賀県彦根市の出身で、17歳から土木作業員として働き始めました。仕事が不安定なこともあり、20代半ばで将来のことを考えてハローワークに相談に行きました。そこで「これからはコンピュータ業界がいい」と勧められたのです。パソコンを触ったこともありませんでしたが、何となく魅力を感じ、紹介されたシステム開発会社に飛び込むことにしました。入社直後に先輩に連れられて行った客先で納品したシステムの画面を見た時、「システムってこういうものか!これをつくるのか!」と感動したことを今でも覚えています。 会社は未経験でも採用してくれましたが、教育制度はあまり整っておらずプログラミングなどは教えてくれず、自分で本を何冊も買って勉強し、現場で揉まれながら覚えていきました。当時は夜遅くまで働くこともあり忙しい毎日でしたが、システム開発の仕事は楽しかったのです。コンビニエンスストアのPOSシステムなど街の中で接するシステムも手掛けて、やりがいを感じていました。そこで、早く力をつけて独立しようと思うようになりました。 そんな時に、京都の特殊機械メーカーの生産ロボットを制御するシステム開発案件に巡り合いました。自分の開発したシステムを先方の生産現場の人に認めてもらい、会社からも高く評価され、その後も継続的に関わるようになりました。その後先方から「ウチに来るか?」と誘われたことをきっかけに独立を考えたのですが、「個人事業では規約で契約できない」と言われ、会社を設立することにしました。 その当時、以前の勤務先であるシステム開発会社が倒産し、優秀だった2名のエンジニアを採用して現在のジェイズシステムズをスタートさせた次第です。
どんな会社をつくろうと考えましたか?
私は仕事をいい加減にやることが大嫌いで、キッチリやらないと気が済まない性格です。土木作業員の頃も、測定する時はミリ単位でキッチリ測っていました。先輩などからは「そんなことしてたらいつまでも終わらない、お前はこの仕事に向いてない」と言われていました。 システム開発会社時代、客先から不具合が発生したというクレームの電話がよくかかってきていたのです。そのたびに対応するわけですが、「何でこんなに不具合が発生するのか?」と疑問に感じていました。いい加減な仕事を毎日毎日、駒のように使われてやる意味は何なのだ、と。 そんな下敷きがあるので、仕事は正確に、緻密にやると決めています。創業後に出会い、前職である大手SIerとの取引を繋いでくれたベテランエンジニアの人に「自分のソースコードを見てください。どこに出しても一等賞だと思いますよ」と言って見てもらうと、「ホンマや。性格出てるわ」と言ってもらえたくらいです。その人からも助言されましたが、そんな“職人魂”を当社では大切にしています。
山田さんの仕事観をお聞かせください。
生活の糧を得ることも大事なことですが、やはり仕事は社会貢献であると思っています。その目的意識がないと、品質や正確性が崩れるのです。 仕事をいい加減にやることが嫌いと言いましたが、不具合をリカバーする業務を頼まれた時、そのソースコードを見ると腹が立って仕方がありませんでした。なんでこんなにいい加減なつくり方をしているのか、と。書いたエンジニアを問いただすと「時間がありませんでした」などと言い逃れをする。「君は損害を背負えるのか?」ということです。自己満足でもなければ、ましてや社会貢献でもない仕事に何の意味があるのか、と思います。
社員に対して、どういった存在になってほしいかの思いをお聞かせください。
正確さや緻密さを当社のエンジニアにも求めており、お客様の言葉の真意を常に考えているので、一定の緊張感を持ってキーボードに向かっていると思います。会社から、お客様から言われたからとそのままつくるのではなく、もっと創造性を発揮して工夫してほしいと思っています。 また、仕事だけではなくプライベートの時間も充実させて、エンジニアライフを楽しんでほしいと思います。就労時間もケアして、できるだけ早く帰るように促しています。定時は9時~18時ですが、あるメンバーは18時には満員になってしまう店に行きたいと、17時半には仕事を切り上げています。仕事を人一倍やるので、私も認めているんです。
オフタイムは、どういった過ごし方をしているのでしょうか?
もっぱらゴルフで、天気にもよりますが週末はよくラウンドしていますね。お客様と回ることが多く、社員ともよく行きます。あるお客様が「金曜に有給取ったので付き合ってください」と頼まれると、平日でも調整して行きますよ。 大型バイクにも乗っていて、地元の幼馴染の3人が同様のライダーなので、誘い合って風を感じに出掛けています。