日本交通に入社した理由は?
この仕事を始めて15年。日本交通には、この道30年のベテランドライバーが何人もいるので、まだまだ中堅です。65歳までが定年で、私は今63歳※なので、あと2年ですね。(※取材時) しかし、それ以降は労働組合と1年ごとの契約更新で70歳まで働けます。私もまだまだいきますよ! 入社する前は、ファミリーレストランの店長をしていました。この仕事をとても気に入っていたのですが、あるとき免疫系の病気を患い、左足首に少し後遺症が残ってしまいました。日常生活に支障はないのですが、会社側から「立ち仕事は厳しいのではないか」と、管理部門へ職種変更の打診があったんです。私は接客が好きでしたから、デスクワークなんて考えられなかった。当時、50歳を目前にして、自分の経験を生かして何か新しい仕事ができないかと模索したところ、この業界に辿り着きました。運転中は右足しか使わなくていいし、座ったまま接客ができます。そこで、タクシー部門で面接を受けたところ、これまでの経験を見込まれてハイヤー部門での入社を勧められたんです。驚きましたが、適正を見抜いてくださったのが嬉しかったですね。入社前から、日本交通のドライバーには職人的なイメージがあり、「伝統」をしっかり受け継いでいる会社だと感じていたので、その一員となれて誇らしい気持ちでした。
どんな仕事をしているのですか?
入社後、十数年間は元政治家の専属ドライバーを担当していました。国会議事堂や中央省庁に送迎することが多かったのですが、政治家のお客様は秒刻みのスケジュールでとにかく圧倒されましたね。現職の政治家とのアポイントメントに、飛び込みで5分だけ向かうなんてことは日常茶飯事。そして議員会館をはじめ、各施設には入口が沢山あって、ピンポイントで送り届ける必要があるなど、目まぐるしい政治家の世界に慣れるまで必死でした。それでも、他の職業では絶対にできない経験だと思うので、これもハイヤードライバーの醍醐味の一つですね。担当していたお客様が引退され、私もフリーとなりました。しかし配車担当者も、政治関係のオーダーに関しては、なるべく事情を理解しているドライバーを指名したくなるようで、今でも各都道府県の知事や議長の東京公務にスポットで入ることが多いですね。これまでの業務で蓄積された永田町や霞が関での経験値はトップクラスだと自負しています。ハイヤー会社は他にもありますが、日本交通は長い歴史で蓄積されたノウハウがあるので、国家行事には車列を仕切って国賓の移動に貢献することもよくあります。特別な信頼を築いているからこその仕事だと思います。
やりがいを感じた場面は?
2011年の3月11日。その日は、ある官僚のお客様をお乗せして、上野駅から霞が関までお送りする予定でした。しかし、未曾有の地震が来てお客様の会議も中止に。公共交通機関はすべてストップし、お客様が帰宅できなくなったため、部下の方3名も一緒にそれぞれのご自宅までお送りすることになりました。車内では、それぞれが日本の未来に思いを馳せられているのか、ほとんど無言でしたね。私も家族の安否が心配でしたが、とにかくお客様のために仕事に徹しました。高速道路も全面閉鎖されていたので、ひどい渋滞で、結局すべての方を送り届けられたのは夜中の1時です。最後にお客様が残り「村岡さん、こんな大変なときに悪いね」と声を掛けてくれたときには、心からほっとしましたね。その後、そのお客様とはご縁が続き、会うたびに「あのときは大変だったね」という話になります。やはり運命をともにした関係ですからね。絆のような一体感が生まれた出来事でした。 長年この仕事をしていて感じるのは、やはりハイヤーにお乗せする一流のお客様は、ドライバーの質を見抜いているということ。そのため、常に向上心をもって業務にあたっています。そうして何歳になっても、自分を高められる環境があるのはこの仕事の魅力だと思います。これからは、マニュアルでは伝えられないことを次の世代に伝えていきたいですね。世の中では、将来の自動運転がもてはやされていますが、恐らくこの仕事は残るのではないでしょうか。お客様の隠れたニーズを読み取るには、人間的な感覚が不可欠なので。どれだけ時代が変化しても、やはり人と人とのつながりは変わらないと思っています。