『窓』の構想が生まれたソニーグループへ入るまでのことを教えてください
大学ではデジタル通信を研究していました。その一方で私には放浪癖があって、学生時代は世界中を旅していました。そこで国や言語を超えて、いろいろな人と出会えたんですよね。小さな村で知り合ったばかりのおばあさんと仲良くなることもありました。 言ってみればこの感覚は、自分が研究している“デジタル通信”から一番遠いものでした。それでいて、世界ではデジタルに長けた国や人との差も広がっていく――。なんだかそこに違和感を覚えていきました。また自分自身も社会人になって忙しくなったら、こういった世界と自然に繋がる感覚も薄くなってしまうのかな……と思うと寂しくなりました。 その頃に浮かんだのが、世界の隔たりを繋ぐ入り口である“窓”のようなイメージです。現在の『窓』のようなはっきりとした製品を考えていたわけではありませんでしたが、そんなものを作れたらいいなと。ソニーへ就職する時、応募書類にその考えを書いたんです。
応募書類にイメージを書いていたんですね!入社後はどんなご活躍をされたのでしょうか
入社して数年後、社内大学へ参加しました。未来のビジョンに向けた人材や企画を育てる取り組みで、私は最年少の23歳で抜擢してもらえました。 そんな時、インフルエンザで倒れてしまって。社員寮で一人熱に浮かされながら思い出したのは、子供の頃の風景です。熱を出した時、部屋で祖父がリンゴをすって飲ませてくれたんです。幼い私は布団の上で寝ていて天井を向いているんですが、天井との間には祖父がいて。――それを思い出した時、「ビデオ会議やSF映画に出てくる通信映像では、なぜ人の顔ばかりで天井が見えないんだろう」と思ったんですよね。 そこから「どうしたらリアリティーのある空間を繋げられるか」を考え抜き、社内大学で提案しました。もちろん他の仕事もありますので、社内でソフトウェアやハードウェアの開発、デザイン等も経験しながら、少しずつ事業化に向けて動きました。
そこから事業化までは、どんな道のりでしたか
初めの数年間は、全く上手くいきませんでした。真面目な自分は通常業務にも全力で取り組んでいました。一方で『窓』は思うように進まず、「なぜこんなことをしているんだろう」と悩む時期もありました。なかなか動かない企画に、周りからも厳しいことを言われることもあって。絶対社会が良くなると信じて一生懸命やってきましたが、ある時、心の糸が切れてしまう感覚に陥りました。 気力が湧かず職場で落ち込んでいた時、当社の執行役員である見山がそっとある本を手渡してきて。夢や人生を応援してくれるその本を読んで、「自分のやってきたことは間違いじゃないんだ」と思えました。本を通じて私を応援してくれた見山となら、面白いことができそうだと確信したんです。 そこから新技術開発チームに招かれ、2016年、初めてこの企画に予算が割り当てられました。事業化に向けて半年ほど全力で動き、特許をいくつも取得してついに生まれたのが『窓』の原型です。
メンバーとの出会いは、大きな一歩になったんですね
今までたった一人で温めてきた『窓』の構想を腕利きのエンジニアが一緒に形作ってくれて、心から嬉しかったですね。当時の開発チームの多くは、当社の創業メンバーでもあります。 そうして『窓』は、SRE AI Partners株式会社で事業化を迎えました。夢に見ていたリリースでしたが、「ついにやり遂げた!」というような達成感があったわけではありません。「これまでコツコツ積み上げてきたように進めれば、もっと良いプロダクトにできるはずだ」と、製品の未来を見ていました。 『窓』は等身大の空間でいつでも繋がれる画期的な製品です。しかし、まだまだ「オンライン会議で十分ではないか」という声も多いんです。また少しずつ導入していく中で、「繋がり過ぎることで窮屈に感じてしまう人もいるんだ」という一面も知りました。だからこそ、できるだけ世界中のみんなが幸せになれる『窓』にしたいと考えています。
これからの『窓』や御社の未来が楽しみです!
仕事の中でも、特にクセになる瞬間があって。いろいろな場所で『窓』を置いて、空間と空間が初めて繋がった時、両方から「うわぁ!」と明るい声が聞こえるんです。本物の窓を開いて外の世界と繋がった時の、あの開放的な気持ちみたいで。時間や空間の共有だけじゃない、『窓』は思いも共有できるんだと感じました。私達はこの瞬間を“窓開き”と呼んでいます。 もちろん会社ですから、ビジネスとして成り立たせなければなりません。当社を創業してからは特に、そのことをきちんと考えるようになりました。ですので、私をはじめ社内のエンジニアには、“99パーセント研究者、1パーセント事業部長”という立場でこの事業を進めてもらっています。 ここまで一緒に思いを一つにして頑張ってくれた仲間には、深く感謝しています。ですがこれからも、新たな技術やみんなの知見で、もっともっと良い『窓』を生み出していきたいですね。