<創業37年、壮絶な過去を持つユリーカ>
ユリーカは長野を拠点にする創業40年のシステム開発会社である。セイコーエプソンのシステム部門のような形でスタートしたのが創業のきっかけ。社名の「ユリーカ」は、ギリシャ語で「何かを発見、発明した時の喜び」を表す。かの有名な大数学者「アルキメデス」も「ユリーカ、ユリーカ!」と行って駆け回っていたという逸話もある。ITのパートナーとしてお客様の価値を引き出し、よりよい価値を発見していくことでお客様と喜びを共有する会社でありたいとの想いが込められている。
1981年にユリーカを創設したのは、現社長・青山雅司の父。元々、青山社長は東京の大手IT企業に勤めていたが、父親からの要望により2010年に長野へ帰郷。リーマンショックの影響で年商以上の赤字、巨額の借り入れという状況に陥り、急遽ユリーカに呼び戻された形だ。
自身の給与を止めることはもちろん、格安のアパートに引っ越し、2人目の子供がお腹にいる中で、文字通り死に物狂いになりながら、誠心誠意、この会社を立て直すことだけを考え、あらゆる可能性を模索したが、会社の状況を知れば知るほど、会社があまりにも絶望的な状況であることが分かり、もう倒産しか道はない状況であった。
まさに社運をかけた一大プロジェクトと呼べる仕事であったが、そのあまりにも大きな仕事に対し、社内の技術者だけでは全く対応が出来ないことは明確。しかし、その仕事を請けなければ会社が倒産することが目に見えていたため、残るか潰れるか、全社一丸で、かつてない大型プロジェクトを進める決断を行う。
青山社長自ら、長野の情報産業の会社を、上から下まで、あらゆる開発会社に連絡をとり、連携して仕事を受注を出来ないか打診するために奔走。まさにこの経験が、現在、長野県下のパートナー連携を駆使した「長野ショア」(ユリーカが呼ぶ長野におけるニアショア開発事業)に発展していくわけだが、当時は会社を潰さないことに必死で、そこまでの未来は見えてはいない。数々の会社に連絡をしていく中で、数週間で実に100名の技術者を組織することが出来、受注体制を整え、月次で金額清算をいただきながら、少しずつ納品を進め、負債を返済していくことが出来た。
青山社長は立て直した今の会社を「セカンドスタートアップ」と呼ぶ。
社歴は長い会社かもしれないが、新しいこと・面白いことにチャレンジしていける環境がようやく整えることができた。
今、ユリーカは長野でも極めて熱いIT企業の一つである。
<今のユリーカ>
現在、2つの事業を行なっている。
1. 長野におけるシステム開発事業(自社サービス開発、業務システム開発、ニアショア開発、コンサルテーション、エプソン代理店)
● 自社サービス開発
● 業務システム開発
● ニアショア開発
● コンサルテーション
2. 東京における常駐型システム開発支援事業
<未来に描くユリーカ像>
これからのユリーカは、創業の想いである、ギリシャ語で「何かを発見、発明した時の喜び」を表す「ユリーカ」と言う原点に戻り、
またその発展として、日本発、長野発の世界に向けた自社サービスを生み出していきたいと強く考えている。現在、多くの企業で使用されているシステムは海外で開発されたものや、それに日本の会社が改善を加えたものがほとんどである。
ユリーカは、あくまでもオリジナルを目指し、長野発のソリューションを世界に発信することを目標にしている。
お客様に長野発のソリューションを提供することを通じて社会に貢献することが、ユリーカの「夢」でもあり「目標」の一つである。
今まさに変革期のユリーカで、長野発のITソリューションを一緒に創りませんか。