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インタビュー画像代表取締役・永冨 智也氏 大学卒業後、東京本社の大手派遣会社に就職。関西で大手電機メーカーの半導体製造部門に配属。ビデオサーボマイコンの開発に5年間携わった後、DVDレコーダーの開発に従事。ポータブルDVDやノートパソコンのローレートモード開発等でリーダーを務める。その他、大手半導体メーカー等、数社の開発現場を経て、東京本社へ異動。技術部 課長を務める。リーマンショックを機に自主退職。2008年11月、株式会社 D-designを設立。

半導体エンジニアを志した経緯をお話しください。

半導体エンジニアになったのは、派遣会社に就職して初めての紹介先が大手電機メーカーの半導体部門だったからです。私は大学時代、工学部の電子工学科で、電気電子をメインに勉強しました。親にお世話になって大学まで行かせてもらったので、エンジニアになりたいと思って受けた会社が東京に本社を置く大手派遣会社でした。大阪営業所で面接を受けたのですが、なぜか京都の配属となり、長岡京市にあった大手電機メーカーの半導体事業部を紹介されました。 入社当時は、半導体のことをよく分かっていませんでしたが、やればやるほど面白くなっていきました。半導体の設計にはドラマがあります。 大抵、大人数で、半年から1年ぐらいかけて行うのですが、必ず技術的に大きな問題にぶち当たります。そういう時に優秀な方が徹夜で調べたり、解析したりして、テレビの『プロジェクトX』さながらに解決するのです。決してもったいぶらずに「へっ、へえ。できたよ、永冨君」と笑いながらおっしゃる姿を見て、格好いいなと思いました。 ただ、私は大学時代、あまり熱心に勉強した方ではありませんので、普通にやっていたのでは追い付けませんでした。私に付いてくれた先輩が、「永冨君、よく分かっていないね。1時間早く来てあげるから、一緒に勉強しよう」と言ってくれて、半年間、定時より1時間早く出社して、その日の仕事に必要な知識を教えていただきました。その先輩のおかげで少しずつ付いて行けるようになって、その後も、失敗しては助けていただくということを繰り返して、自分が何をしているのかが分かり始めたのは3年後ぐらいです。その頃からブロック長をやったり設計リーダーをしたりして、後輩もできて、今度は私が1時間早く出て教える立場になっていきました。会社自体、非常に社員を大事にする会社でもあり、非常に良い環境で仕事を覚えることができました。

当時の開発事例で、お話しいただけることはございますか。

ポータブルDVDプレイヤーやノートパソコンのローレートモードがあります。据え置き型のDVDレコーダーやデスクトップパソコンは電源を差しっぱなしで使いますが、ポータブルDVDプレイヤーやノートパソコンは、バッテリーで駆動します。ただ、当時はバッテリーが2時間ぐらいで切れていました。それでは海外市場で勝てないということで、消費電力を10分の1に下げなければいけないということになりました。その時、リーダーに指名されたのが私です。最初はそんなこと誰ができるのかと思いましたが、他部署の方や先輩方に相談に乗ってもらいながら、自分なりにアイデアを出して、解決しました。 私が考えたのは、DVDプレイヤーやノートパソコンを使っていない間、できるだけ電力を下げる方法です。電源を切るタイミングを覚えさせて、復帰するタイミングを、電源を切ったタイミングと同じ状態にしてから復帰させるという回路を作りました。開発途上では、不具合が沢山出ましたが、何とか動いて製品化しました。その技術は今でも残っているはずです。

永冨社長は今後のエレクトロニクス業界はどのようになると思われますか。

私がエンジニアを辞めたのは2000年代初頭で、34歳の時でした。当時、日本の電機メーカーの技術は世界でも非常に高いレベルを有していました。各社共に世界で1位、2位を争う技術はあったと思います。私から言うべきことではないかもしれませんが、残念ながら、当時の日本の物作りの良さは、現在、残っていません。 そうなってしまった原因は、業界構造にあったと思います。日本の電機メーカーの技術者は、35歳ぐらいで課長になり、45歳から50歳ぐらいで部長職になり、年齢を重ねるごとに開発の現場から離れていきます。管理職になった方が給料も高くなるという構造も、そういった傾向に拍車を掛けました。その結果、日本の技術者の層が薄くなり、現在のような状況になったのではないかと思っています。 私自身、その当事者の一人だったのかもしれません。弊社が60歳を過ぎても現役のエンジニアとして働けるようにしているのは、そういった私自身の反省があるからです。弊社に所属するエンジニア社員は、一生涯現役エンジニアとして活躍しながら、豊かな人生を送ってほしいと考えています。 その上で、これから日本の電機メーカーが世界で勝てるようになるには、という視点で話をするなら、一旦失ったものを、構築し直すことは、非常に難しいでしょう。これからの若いエンジニアが、イチから日の丸電機メーカーを作り直すしかありません。日本人の気質は細かいので、才能はあるはずです。総合電機メーカーではなく、ドローンや電動バイク等の専門メーカーでも良いと思います。若いエンジニアの方には積極的に起業してほしいと思います。もちろん、弊社の社員から、そういったエンジニアが出てくるなら、バックアップしたいとも考えています。

御社がメーカー事業に参入される可能性もあるのですか。

色々な可能性があって良いとは思っています。特に、アウトソーシングにこだわるつもりはありません。ただ、エンジニアの働き方を急激に変えることはできません。お子さんを抱えた方もいらっしゃいますし、これまで定時で終わっていたのに残業をさせるのも良くありません。現在の会社を気に入ってご入社いただいている限り、入った時の会社の形は残さなければいけないと考えています。変えるにしても少しずつではないといけません。 私が最も嫌なのは、一旦ご入社いただいた方が退職する時です。何とか長く勤めてもらいたいなと思っています。私は、会社で働く方にとっては、プライベートの次に大事なものは仕事だと思っています。その重要な役割を担っていると考えると、嫌な会社にはしたくないなと思います。 だから定期的な帰社日等も設けていません。私がエンジニアの時はありましたが、無駄な時間だと思っていました。弊社では、話がある時は、個別に来てもらって話をしています。それ以外はゆっくり休んで、家族でどこかに遊びに行った方が有意義です。同僚がいて、たまには冗談も言えて、仕事のやりがいがあって、給料も良い。そういう会社を目指したいと考えています。

最後に、御社で働くエンジニアに求めることをお話しください。

アウトソーシングのエンジニアは、あくまでも知らない会社で、技術を持ったオタスケマンとしての役割を担う存在です。そのため、サービス精神や気配りを持つことは重要です。できるだけお客様の懐に飛び込んで、人が嫌がるようなことでも率先してやれるような人材になってもらいたいと思います。自分の手が空いている時は「今少し時間があるのですが、手伝うことありますか」と、逃げずに、最後まで解決に向けて取り組んでもらいたい。そうすることで、その人の評価が上がることが、私は一番嬉しいです。 先日も、メインのお客さんに表彰されたエンジニアがいました。エンジニアに渡してくれと、15,000円お客様から頂きました。そういうエンジニアが一人でも増えたら嬉しいですね。 新人なりにできることはあるはずです。例えば毎朝机を拭いたり、ごみを捨てに行ったり、そういった雑務でも構いません。そういうところから始まっていくものだと思います。派遣だからやらされているのではなく、あくまでもオタスケマンとしてやっている。そういう気持ちで取り組んでほしいと思います。

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