NTTデータの社内ベンチャー制度に応募した経緯を教えてください。
私は新卒でNTTデータに入社し、ERPのパッケージ部門からキャリアをスタートしました。パッケージの新規開発から営業、導入までの全てを経験できましたが、私はどうしても自分流のやり方でやってみたいと感じていました。 ちょうどその頃、インターネットが急速に広まった経緯もあり、このインターネット技術を企業システムに取り入れた柔軟性の高いソリューションのアイデアが思いつきました。 そこで『intra-mart』の原型のアイデアを、当時お付き合いしていたお客様に打診したところ好反応が返ってきました。市場検証を済ませて「これはいける!」と判断したので、1998年にスタートした社内ベンチャー制度に応募したのです。そして苦労しながらもver.1を開発しました。 日本のIT産業はほとんどSIベンダーで占められていますが、個別開発のSIよりも、自分のオリジナルのアイデアを形にして、100社、1,000社のお客様に一気に展開するような影響力のある仕事をしたい。お客様の課題・要望を基点としつつも、オリジナルのアイデアを提供する「ソリューションベンダー」志向だったのです。
『intra-mart』ver.1は導入に至ったのでしょうか。
大手3社が共感してくださり、受注に結び付きました。正確な経緯としては、既にver.1の開発中に3社に何度も通い、受注の確約を取っていたのです。柔軟性・拡張性に富んだ『intra-mart』は、当時3社で使われていた他のパッケージよりも好評価でしたから。あとは納期まで寝食を忘れるくらい頑張って、お客様に納品しました。そして導入企業名を広告で大きく出して実績をアピールしたところ、初年度で約150社の受注に。当たりましたね(笑)。ちなみに3社のお客様とは、現在もお取引が続いています。 社内ベンチャー制度では「3年で黒字化すれば合格」とされていたのですが、1年で黒字化してしまいました。自分のオリジナルのアイデアが、大手企業をはじめとするお客様に一気に導入される。この喜びを味わった私は、もう後戻りする気が起こらず、NTTデータからのスピンアウトを決意。当社を設立しました。
以来20年以上にわたる貴社の歴史で、ピンチを迎えた時はありますか。
何度もありますが、一番キツかったのはコロナ禍における売上の激減です。2020年4月からパタリと受注が止まり、その状況は結局1年間続きました。特約店パートナー様が直接お客様を訪問できないことが直接の原因です。それを対外的な“言い訳”にすることもできたでしょう。でも、過去に経験したピンチと違っていたのは、社員達が立ち上がったことです。コロナ禍であっても、業績を伸ばしている会社はあるという事実を受け止め、「では自分達には何が足りないのかを見直そう」と社員達が言い出し、検証を始めたのです。この時の検証が、中期経営計画の「顧客起点の経営改革」を通じて「お客様のビジネス変革まで貢献できる会社を目指す」という大転換に繋がりました。 過去にピンチがあった時は、私が旗を振って持ち直しを図りましたが、今回は社員達が中心です。社長としてとても嬉しかったですし、これからもやってくるであろうピンチを皆で乗り越える自信が付きました。
『intra-mart』は8,900社に導入済みですが、伸びシロはありそうですか。
この5年ほどで導入社数は倍増するなど国内では大きく伸長していますが、海外にも伸びシロはあると感じています。柔軟性・拡張性に富んだ『intra-mart』は、お客様独自の良いところをITの力でさらに伸ばせる点が強みです。これまでの業務ソリューションは、パッケージにお客様のビジネスを合わせようとすると、そのお客様の良さが損なわれてしまいます。例えば、私が知っているあるお客様は、納期回答の速さを売りにしていました。しかしグローバルスタンダードの海外製パッケージを導入した際、その売りが削られてしまったのです(グローバルスタンダード=平均値になってしまいました)。そうではなく、日本の会社独自の競争力を『intra-mart』で伸ばし、ひいては閉塞感のある日本全体を元気にしたいと考えています。 海外事業はなかなか苦労が続きましたが、近年、東南アジアで受け入れられるトレンドが出てきました。このチャンスは逃さないつもりです。この会社の特徴であるチャレンジを通じて、『intra-mart』が世界に通用することを証明したいですね。
最後に、中山様ご自身が叶えたいと考えている夢を教えていただけますか。
日本全体をもっともっとイキイキとした元気のある国にしたいですね。それがSDGsの「働きがいも 経済成長も」に繋がると考えています。 例えば当社は、長野県や宮崎県などの『intra-mart』を使ってビジネスしている地域企業に出資をしています。また当社の元監査役が宮崎出身で、今は宮崎に戻って障がい者の方々のビジネス支援を行っています。以前は名刺を作る等の作業が中心だったそうです。でも最近では、障がい者の方々が『intra-mart』によるローコード開発のスキルを身に付け、エンジニアとして仕事を受ける機会が増えていると伺いました。保護者の方々はとても喜んでいらっしゃるそうですし、何よりご本人の収入がアップします。この取り組みを全国展開するサポートを行っているところです。 DX人材は本当に枯渇しています。この不足しているDX人材を地方や障害者なども含めてローコードで広く育成し雇用を生み、ITによる経済成長を促す。そんな未来も描けそうです。