NIXEを設立するまでの経歴は?
整備士の専門学校を卒業後、様々な職業を経験。トラックドライバーを長くやっていました。トラックドライバーはかなりハードな仕事で、年齢を重ねると身体も動かなくなって、いつまでも続けられないと判断。そんな折、IT関係の仕事をする人と知り合い、話を聞くうちに私もチャレンジしてみたいと思い、1年間独学でプログラミングの勉強をして、開発会社に入社。エンジニアとして歩み始めました。25歳の時です。 トラックドライバーを辞めようと考えた時、頭をよぎったのは将来の姿。会社を興して経営者になりたいと考えました。経営者になるには事業が必要。数ある事業の中から選んだのがIT事業でした。IT業界は将来性があって、飲食店のような初期投資も必要ありません。しっかりスキルを身に付ければ、ローリスクで起業してビジネスを成功に導けると考えました。
NIXEを立ち上げた経緯は?
3年間、プログラマとして働いた後、独立してフリーのプログラマになりました。その後、IT系のセールスを手掛ける人物とNIXEを立ち上げました。東京のクライアントとコネクションのある人物で、セールスのスキルもピカイチ。その人と一緒に東京の会社を営業に回り、クライアントと関係を構築しながら、私は営業を学びました。今は辞めてしまいましたが、NIXEの基礎を築くのに大きな貢献をしてくれました。 また私の実家は住宅設備の販売会社を経営しており、若い頃に家業の手伝いを経験しました。住宅設備の販売は、典型的なアウトバウンド営業。アポなしで訪問して興味を持ってくれる人を探し歩きます。断られるケースが大半で、とても忍耐力と根性が試される仕事ですが、3年間、住宅設備の販売を経験したおかげで、クライアントを探したり交渉したりするのが得意となりました。創業当初、開発エンジニアは私一人でしたが、前職の仲間が集まってきて、規模が大きくなってからは、私は営業とマネジメントに専念しています。
NIXEの10年を振り返って、ターニングポイントはありましたか?
アニメーション制作を手掛けたことですかね。それまでは、私の経験した仕事しか受注していなかったため、システムエンジニアだけの集団でした。ところがある時、ゲーム開発をしていた当社に、クリエイターが入社することに。それまで、アニメーション制作は受けていなかったのですが、クリエイターが入ったことで、アニメーション制作を新たな事業として立ち上げました。ゲーム開発とアニメーション制作をセットにした事業で、ゲーム関係の事業が伸びて、クリエイターが次々と入社。会社の雰囲気も変わりましたし、営業先も広がりました。 事業の柱が二つになったことで売上も社員の数も増えました。今後は100人規模の会社を目指して、さらに事業拡大と人材の確保・育成を進めたいと考えています。マネジメント層の強さが、当社を支えていると考えているため、社員が増えるのに合わせてマネジメント人材の確保・育成も課題です。これから入社するエンジニアで、マネジメントに興味がある人は、どんどんチャレンジしてください。私を含め、今のマネジメント層がしっかりと教育します。
土井代表にとって「仕事」とは?
強くなることです。会社としての強さ、エンジニアとしての強さ。私も含め、メンバーには強くあってほしいと願っています。強さを求めるのは、人間の根源的な性。事業を興した以上、他社に負けない強さを兼ね備え、競争に勝ちたいです。社員を大切にするのも、会社を強くするため。強くなることに理由はいりません。もちろん強さには、様々な在り方があります。社員にはそれぞれの「強さ」を体現してほしいです。 エンジニアが仙台で暮らし働いて、幸せになれる会社を作りたい。仙台で生まれ育ち、一時期東京で暮らしましたが、できることなら仙台から出たくありません。けれども、エンジニアがキャリアを築こうと考えた時、仙台で働いていては成長に限界があると感じています。NIXEを大きな会社にして、仙台にいながら東京の案件、最先端技術に携われる環境を、仙台のエンジニアに提供したいと考えています。そのためには、どんどん会社を成長させて、もっと強くならなければなりません。社員ファーストを掲げているのも、会社の成長を持続させるためです。
土井代表の「趣味」は?
身体を動かすのが好きです。冬はスノーボード、夏はダイビング等をしています。スノーボードは、20年近く続けている趣味。仙台は近くにスノーボード場もあるので、冬になるとスノーボードを満喫できます。 そして、10代からバイクが好きで、今もレーシングバイクを所有しており、仙台市の近くにある総合モータースポーツ施設で走っています。エンジニアになった頃には仕事も忙しく、サーキットを走らなくなっていましたが、コロナ禍で時間ができ、再びバイクに乗るようになりました。サーキットを走るために、ライセンスを取り直しました。 仙台は何でもある町。スノボーもできればサーフィンやダイビングのスポットもあります。東北で一番大きな町で、仙台市内に出れば大抵の物が手に入ります。家賃が安く、持ち家も夢ではありません。これからも、魅力ある町、仙台で暮らしたいエンジニアに、働きやすい環境を提供できるように努力します。