白鳥製薬様の後継者になるという話は昔からあったのでしょうか。
いえ、後継者の話どころか、私が“超”氷河期時代の就活で苦労している頃、父(白鳥豊氏/現・代表取締役会長)は、「ウチ(白鳥製薬)には採用しないから」と言われていました。そこで私は商社、外資系金融、広告代理店等、様々な業界にアプローチしたのです。景気は厳しいながらも、会ってくださった方々は仕事の意義や面白さを熱く語ってくださいました。 商社の方は「我々が日本のエネルギーを支えている。単に輸入するだけではなく、工場等も設置して日本と原産国双方の役に立ちたい!」、外資系金融の方は「日本の金融はこのままでは厳しい。グローバルに勝負して日本の金融を変える!」、広告代理店の方は「時代は“乗る”ものじゃなく、自分達で作ってみんなを“乗せる”ものだよ!」…というように、是非一緒に働きたいと思えるような熱い方々ばかりでした。 皆さんの影響で、自分も流れを作る側で頑張ろうと、最終的に商社を選びました。
商社に9年間勤められてから、白鳥製薬様に転職されたのですね。
そうなります。商社での9年間、私はコーポレート部門の配属で、主計部、リスクマネジメント部、アメリカにある子会社の財務部等、計数管理の実務に携わりました。「流れを作る側に」という入社動機から、第一希望は新機能を手掛けるグループでした。ただ、「いずれは白鳥製薬に入ることになるかも…」との思いから、会計・税務等の経営に関する勉強もしたいと考え、コーポレート部門を第二希望に挙げていたのです。その結果、第二希望が通った形ですね。 そして米国駐在から戻った時、転機が訪れました。母が脳腫瘍で倒れたのです。私は引き続き商社で働いていましたが、父からは「そろそろ白鳥製薬に」と打診を受けました。 一旦辞退したものの、2年後に母の病気が悪化。父はとても苦労していたようです。「自分が入ってサポートするなら、今がそのタイミングかもしれない」と判断。事情を話して商社を円満退職し、2010年に専務取締役として白鳥製薬に入社しました。
いきなり専務取締役としてスタートするのは大変ではなかったですか?
やりにくさは全く感じませんでした。というのも、当時の私は傲慢な“カン違い野郎”だったからです。おかしいと思ったら、すぐダメ出しをしてルールや運用を勝手に変える。変えた通りに進まないと周囲に正論をぶつける。そういう形で迷惑をかけ続けていました。 入社当時の業績がかなり厳しく、次年度もこの状態が続けば銀行の融資が得られなくなる状態でした。「専務の自分が何とかしなくては」と気負っていたのでしょう。でも、私の指示は次第に空回りをし始めました。 やるべきことはやる。ダメなものはダメ。それは譲らないとしても他責に逃げず、決して完璧とは言えない私と「一緒に頑張ってくれませんか?」という姿勢で、コミュニケーションに臨むようにしたのです。すると少しずつ、周囲の協力が得られるようになりました。私の至らなさを受け止め、厳しい時期を一緒に乗り越えてくれた人達が今も沢山頑張っています。その人達に対しては反省と感謝しかありません。
そして2017年には代表取締役社長に。目指していらっしゃる社長像は。
従業員が反対をする方針を打ち出すことが、社長の役割であると私は考えています。社員が賛成することを、わざわざ社長が打ち出す必要はありません。それはどこかの部署が進めればいいのですから。 もちろん「トップダウンでやるべき」と言いたいのではありません。私は社長仲間、商社時代の仲間等、社外に多くの知り合いがいます。その方々と会って肌で感じた“外の風”と、社内の状況にギャップがあるなら埋めるべきです。“外の風”を受けて打ち出す方針は、多くの場合、従業員がすぐには賛成できないものになります。当社のDX推進も、始めは総論賛成・各論反対でした。 しかしそこで「いいからやれ!」でも「そうか反対か、じゃあ止めよう」でもダメです。社長である私が覚悟を持って「やる」と打ち出したのなら、従業員に粘り強く説明する。腹を割って議論する。その積み重ねで理解と協力を得なければなりません。私はそういう社長を目指し、実行に移しています。
多方面にお忙しい白鳥様は、どんなふうにリフレッシュされていますか?
妻と二人の子供と過ごすことが一番のリフレッシュになりますね。みんなで外出して食事をしたり、下の子供がやっているサッカーの練習に付き合ったり、試合を観に行ったり…家族との時間はとても大切にしています。 また、先ほどもお伝えしたように、私は社外に多くの知り合いがいます。地元の友人、業界の関係者、社長仲間、そして商社時代にできた仲間。そういう方々と平日の夜に会って話すことは、リフレッシュというか刺激になりますよね。そういえば、当社のITソリューション部の部長がまだ前職でエンジニアをしていた時も、月1~2回声を掛けて飲みに行っていました。関係を継続していたことが、現在のDX推進に繋がっているようにも思います。 この取材では私は話す側なので沢山お話ししましたが、実は人の話を聞くことも大好きなのです。元気でパワフルな方々と会って、話を聞いているだけでも、私は十分リフレッシュできます。