ファイブグループに入社するまでの経緯や入社の動機を教えてください。
私はファイブグループに入社するまでは、フリーターだったんです。学生時代にアパレルブランドを立ち上げて、自分でデザインして販売しましたが、アルバイト代を使って服作りを行っていました。デザインを本業としたかったので、新卒時には企業へ就職しようとは思いませんでした。しかし、24~25歳になった頃、親からの風当たりが強くなり、会えなくなるほどになってしまいました。 ついに、ファッションでの自活については頓挫してしまい、ファイブグループへの就職を決めたわけです。それまでアルバイトで長く働いてきた飲食業の中でも、なぜ当社を選んだかと言えば、それまで別の飲食店にいたのですが、ファイブグループで働く人と話す機会があり、「この会社で働いている人は楽しそう」「お店は盛り上がっている雰囲気で、良さそう」と感じたためでした。
企画マーケティング部を設立したそうですが、その理由を教えてください。
入社後は調理も行い、店長として店舗運営にも携わりました。担当した店舗は条件的にあまり採算性が良くない店でしたが、それでもアルバイトの大学生が自分でPOPを制作したりして、店の売上に貢献しようとしてくれるわけです。売上を伸ばさないと、アルバイトに入れる時間も短縮する必要が出てくるのですが、彼らが頑張る様子をみて「どうやったら集客できるのか」と考えるようになったのです。 そして、社長にも直談判をし、企画マーケティング部を設立して、「お店が行う販促活動と、本部が行うべきこと」を区分けして、本部では新規顧客獲得に向けた活動を行い、店舗では主にリピーターを増やして再来店を促すことに専念してもらうように心掛けました。
14年間のうちで、マーケティング戦略の変化を感じたことはありますか?
2012年頃のことでしたが、「このままでは全店舗が前年の売上を超えない」という危機に陥ったことがあります。 ちょうどこの頃、携帯電話がスマホ化し、エンドユーザーの生活様式の変化があったタイミングでした。それまでは駅等に置かれたフリーペーパーのクーポンで集客できていたのですが、この頃から変化してきたようでした。 この危機に当たり、全体的な経営会議を初開催して、私が集客担当として登壇して、今後について提案を行いました。Webでの集客に力を入れて、その年には結果として前年比UPを達成することができたのです。 旧モデルの広告宣伝は大手メディアを利用したものでしたが、これ以降、自社メディアや自社のプラットフォームでの広告へと徐々にシフトして、ブランディングを行い、新規集客とリピートに繋げています。
コロナ禍にあっても、ファイブグループが黒字だった理由を教えてください。
これには、いくつかの要素があります。まず、LINEで全従業員が繋がっていて、早期に縦横の情報が伝わることによる安心感が大きかったと思います。 まず、2020年2月末に店舗から「マスクを大量にほしい」と、感染症について認知される直前から動き始めました。「会社都合での解雇は行わない」方針を示して、休業補償に関する条件やルールを伝えてすぐに対応しました。 コロナ以前からの状況を鑑みて閉店する店舗もありましたが、従業員が「賃料交渉は引き受けた!」等とそれぞれの得意分野を持ち寄って、様々なプロジェクトが同時に動きました。 このように、組織の行動指針である「それぞれの立場で有機的に繋がって活動できたこと」によって、自走して個々の力を何倍にも拡大して、迅速に対応していけたことは、ファイブグループのメンバーならではの対応だったと思います。
ファイブグループやコネット事業部に興味を持った方に対して、一言お願いします。
コネット事業部で働く魅力とは、「スタートアップの事業に関わるという、ベンチャーの成長感」を味わえることと、それと同時に「2003年創業、従業員2,000名超という規模の企業である」ことの安定感にあります。 ベンチャーキャピタルに投資してもらう場合には、常にプレゼンを行う必要があり、緊張感に包まれているかもしれません。しかし、当事業部では安定したバックボーン・基盤がある中で業務に専念して働くことができます。 また、関わる方全ての「楽しさ」を重視し、質の高い生活を送れるように配慮しています。 社内のアルバイトも含めたスタッフへの第三者調査による『GPTW働きがいのある企業ランキング』では、飲食業界で唯一6年連続受賞(コロナの未申請期間を経て、2023年7度目の受賞)という結果を残しました。 年に1度、ほぼ全店舗からメンバーが大集合する「ファイブフェス」等、ユニークなイベントもあります。 当事業部の人員は現在20名程です。1年後の40名体制に向けて、組織を一緒につくり上げていく醍醐味を味わってみませんか?