まず、佐藤様のご経歴を教えてください
私立高校の職員として就職し、40年勤務して定年退職してから本学へ参りました。 高校までは、家族や周りは医学部を目指すのが当たり前という環境。しかし私は高校時代ラグビーに明け暮れていたこともあり、なかなかうまくはいきませんでしたね。そして受験の末に法学部を選びました。法学はとても面白くて夢中になりましたが、やはり難関の司法試験には苦戦。「自分に合った仕事は探せるのか……」と悪戦苦闘していましたね。 そんな中、自分にピッタリの職に巡り合えたと思います。医者でも弁護士でもない、“教育の道”です。当時司法試験の勉強を教わっていた、弁護士の先生が私立高校法人の職員を紹介してくれたのです。法学部出身として、まずは法務の知見を生かせる総務部門からスタート。65歳までの約40年で、財務担当理事や事務局長、常任理事も務めあげました。
教育機関が天職だったのですね。何か印象的な思い出はありますか
その私立高校法人は関西にも拠点があり、長い間関西の高校にいました。その中で起きたのが、阪神淡路大震災。あのときは人生観が変わりましたね。学校として生徒の暮らす各地域へ物資支援に行きました。もちろん車は使えず、重い重い水とガスコンロを背負い、大阪府から7時間掛けて兵庫県加古川市に行きました。水やガスコンロを入れた荷物が肩に食い込んで痛くて痛くて。それでもあきらめず辿り着いた先で、生徒の保護者が「よく来てくれた」と泣きながら手を握ってくれて……。あの肩の痛みと、保護者の手のぬくもりは今でも忘れられません。その翌日からは『頑張れ学園生』という学内情報誌を配布。列車の運行状況など、生徒たちに必要な情報を発信したのです。 形あるものはいつか崩れる。けれど、心を受け継いでいくことはできるのではないでしょうか。阪神淡路大震災での経験は、教育に関わる人間としての私の大きな指針になったと考えています。
大変な経験でしたね……。現在貴校の事務局長として大切にしていることは
事務局として、高いチーム力は心がけています。 震災などの自然災害しかり、国内外の情勢しかり、コロナ禍などのパンデミックしかり、何かがあれば社会は大きく揺らぎます。また日本では少子化も深刻で、学生募集に苦しむ大学も。時代に負けず繁栄するためには、大学の歴史を誇るだけでなく、今なお差別化できるアイデンティティを持つことが重要です。 そこで大切なのが、チーム力なのです。ラグビー少年だった私は、やはり“ワンチーム”という言葉を使っています。本学は学生が何万人もいるような大きな大学ではありません。だからこそ、職員は様々なことを経験できるのです。担当する部や課の幅広さはもちろん、その垣根を越えてリーダーとして活躍することもできる。また本学は現在、池袋キャンパスも中目黒・代官山キャンパスも、事務局全体がワンフロアに。文字通り部門の壁がなく、事務局全体がワンチームで何かに取り組みやすい環境にしたのです。
佐藤様が目指す“チーム力”は、現在の事務局に生きていますか
はい、生きています。協力する姿勢を持ちつつ、チャレンジ精神も豊富な職員がたくさんおり、感謝しています。例えばコロナ禍を経て2023年に4年ぶりに開催した芸術祭。実行委員会を立ち上げると、約150名の学生が集まってくれました。そして、そこに学生支援課の職員も入って取り組んでいます。しっかりと学生目線で考えて、一緒に芸術祭を成功させようと取り組む熱心な姿は私の誇りですね。 こうした積極的な職員が集まるからこそ、今後実現したいのは、よりディスカッションの盛んな職場です。私の現役時代と違い、今は上意下達の組織では通用しません。ポジション関係なく誰もが組織の方針を把握し、自分の意見を発信することが、成功の秘訣ではないでしょうか。また、マジョリティな意見だけでなくマイノリティな意見もいきいきと発信できるような組織にしたいですね。互いを尊重する素晴らしい人材が揃っている本学では、それが叶うのではないでしょうか。
最後に、応募を考えている方へメッセージをお願いします
大学は、とても素敵な場所です。 大学の学生は20歳前後が多くを占めます。そんな生命力あふれる若者と共に時間を過ごすと、不思議と元気をもらえるのです。私は40年以上教育の世界にいますが、これが一番の醍醐味なのではないでしょうか。学生と同じ空気を吸えるこの場所が大好きで、ランチだってついつい学食に足を運んでしまうほど。 また本学はキャンパスの一部を一般開放しており、お子さんからご年配の方まで、地域の様々な世代の方もお越しになります。そして海外からの留学生もいらっしゃいます。世代や国籍を超えた空間。毎日こんなに刺激をもらえる職場は、他にないのではないでしょうか。