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インタビュー画像代表取締役社長 伊藤豊 1977年11月に栃木県河内郡(現・宇都宮市)に生まれる。1996年私立開成高校卒業後、東京大学理科一類へ。その後、文転し、文学部行動文化学科心理学専修課程を卒業。2000年に日本IBMに入社。システムエンジニア、関連会社にて新規ビジネス企画・プロダクトマネジャーを経て、本社のマーケティング部門にてプランニングワークに従事。2005年末にスローガンを設立。「人の可能性を引き出し、才能を最適に配置することで、新産業を創出し続ける」をミッションに、新興成長企業への成長支援をヒューマンキャピタルを軸に実施。2014年より投資事業を立ち上げ起業支援もおこなう。協力した著書に、『大手を蹴った若者が集まる知る人ぞ知る会社』(朝日新聞出版)がある。

なぜ起業したのか?

もともと起業なんてするつもりはなかったのですが、たまたま、どうしても解決したいと思った課題が自分の中で明確になったので起業しました。2004年当時、外資系の日本支社で働いていたので、ちょうど日本市場が縮小して日本支社の裁量がどんどんなくなっていき、世界における地位が沈下していったように感じました。それは外資日本支社の話だけではなく、日本全体の縮図じゃないかと思ったんですね。人口減少・少子高齢化でマクロトレンドで下降するのは仕方ないものの、何かしらそこに抗うことができないか?と思い始め、人材の配置問題という仮説にたどり着きました。 人材の配置問題とは何か?既存の伝統的な大企業に人材が偏っており、新しい産業の担い手となるベンチャー企業や中堅・中小規模の成長企業には人材が集まりにくい。この構造を打破して、組織的には成熟しすぎて、若手の才能を活かしづらい機能不全になりかけている企業から、若手にどんどん仕事が任せられるフィールドのある成長企業に人材を移動させ、社会的に最適な配置を実現できないか?という問いです。そうすれば、もっとイノベーションが促進され、生産性が高い社会となり、地盤沈下するマクロな流れに抗うことができるのではないか?という仮説がベースになっています。 同じような問題意識で既に取り組んでいる会社がなかったので、自分でやるしかないかなと思いました。そんな経緯で、創業の動機が、青臭い理想主義みたいなものだったので、誰かがつくった会社にお世話になる形でやろうとすると、理念とかいいからまず稼いでくれって言われるのがオチだろうなと思ったというのもあります。 だから、儲かることや自分ができそうなことは一回すべて忘れて、とにかく自分自身が本当にやる価値がある、社会にとっても意味のあることをしよう。そう思ったんです。起業するといろんな人からその市場は大きいの?と聞かれるのですが、市場の大きさも無視することにしました。とにかく意義が第一優先。だから規模は二の次で、仮に大きくなれなくても仕方ない。小さくてもいいから意義があることをやろうと思ったんです。

創業当時のスローガンは?

すごく立地の良い場所に構えるおしゃれな今の南青山のオフィスからは想像できないと思いますが、創業時のスローガンは本当に貧乏で大変なスタートでした。ベンチャー企業の採用を手伝うビジネスをスタートしようと思った私にとっての最初の壁は、営業開拓でした。ベンチャーに知り合いもいなければ、新規開拓の営業もやったことがない。人事や採用の経験もない。まさに無い無い尽くしの状態。おまけに当時はシード投資をしてくれるベンチャーキャピタルもほぼ皆無で、なけなしの貯金と親からの借金でつくった自己資本で乗り切らなければならなかったです。 結果、創業から2年間給与ゼロ。3年目も月給10万円というあり様。28歳で起業したので28から30歳までの3年間の合計所得は120万円という、学生のアルバイトでももっと稼げるだろうという水準でしたね。 これだけうまくいかないとなると、普通だったら途中でやめていると思います。私の場合はなぜか続けられた。これは自分でも不思議なのですが、絶対に社会にとって必要なことをやろうとしているんだ、という自負もあったのと、あきらめなければ必ず成功する、という言葉を自分に言い聞かせてたから、あきらめずにやり続けられた気がします。

そんな大変な時期からのターニングポイントは何だったのか?

ターニングポイントは複雑に絡み合っていて一言では言えない気がします。でも、明確に変わったなと思えたのは、やはり後のキーパーソンとなる人材が採用できたタイミングでした。ベンチャーは人が少ないし仕組みやブランドもないので、一人のキーパーソンの活躍が与える影響は本当に大きいんです。まさに自分たちの組織の発展・拡大においても、自分たちの事業・サービスの意義を実感することとなりました。 結果、3年目の途中から上向き始め、4年目以降は順調に成長してきました。2016年のデロイトトーマツ主催の日本テクノロジーFast50(国内成長率ランキング)で37位にランクインも果たしました。苦しい創業期があったので軌道に乗って正直うれしかったし、仲間も増えて楽しいなと思ったときもあったんですが、ふと冷静に気づいたんです。掲げているミッション、ビジョンからしたら全く足りないので、成功とはとてもじゃないけど言えない状態であるし、小さな失敗はたくさんしてきたけれど、大きな失敗はしていない。なんだか中途半端な存在になっていないか?と。 そんなとき、エス・エム・エス(東証一部)の創業者である諸藤周平氏との出会いが私を変えました。1977年生まれで私と同い年である諸藤氏は、25歳で起業し、36歳で自身が創業したエス・エム・エスを引退していました。創業者と言えども、自分より適切な経営者が見つかれば任期を終えるべき、というメッセージのように感じ、衝撃を受けました。自分も永久にスローガンの経営を任せてもらえるわけではないとするならば、自分の在任中の限られた時間の中で、可能な限り、インパクトと規模を追求したいと思うように変化しました。 同時に、スピードをもって高成長していこうとすると、高収益企業にすることも必要であるということに気づき、これまで社会的に良いことをしているんだから、利益もそこそこで良い、黒字であれば良い、と思っていた自分を恥じました。まさに私の握る経営のギアが入れかわった瞬間でした。

今の会社の状況と今後のビジョン

今まさに創業以来の大変革フェーズに入っていて、経営のギアを一段も二段も変えて変革を推進しています。まさに会社改造ですね。改造のポイントは、既存事業の高収益化と高成長の実現。そして、周辺領域への新規事業を量産していくこと。 高収益化と言うと、テクノロジーの活用と捉えられがちですが、そうではありません。勿論、テクノロジーの活用は重要です。スローガンでは社員全体の2割近くはエンジニア・デザイナーですし、内製できる体制にしています。テクノロジーには引き続き投資していきます。ただ、高収益化を目指す上では、既存の人材紹介ビジネスやメディアのビジネスでも、高い価値提供を効率的に行う事業設計にすることで十分可能だと思っています。 まだ全体で社員60名規模と小さい規模なのですが、2016年10月からグループ経営というコンセプトを導入しました。事業セグメントごとに事業体を分けて、事業責任者に経営人材として裁量を持って経営してもらう。事業単位でも小さい部門ごとに責任者をおいてP/L責任まで見てもらう体制に移行しつつあります。そうすることでグループ全体で経営人材を多く生み出していきたいと思います。新産業を創出し続けるとミッションでうたっている会社なので、支援先であるクライアント企業だけでなく、自分たち自身も常に事業を創出し続け、経営できる人材の集団でありたいと思っています。20年ぐらいかけて、アジアを代表する、人を軸にした産業創出エコシステムを構成する事業グループになるという目標に向けて、自律的に有機的に成長していくグループを実現します。

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