株式会社KUNOを設立した経緯を教えてください。
話は15年ほど前にさかのぼります。当時の私は、勤めていた会社の執行役員として、スマートフォンの開発を手がけていました。まだ多くの人がいわゆる「ガラケー」を使っていた頃です。スマートフォン関連の事業はとても目立っていたためか、別の会社にM&Aで買収されました。と同時に、私の裁量で新しいことはできなくなってしまったのです。そうこうしているうちに、スマートフォン自体が珍しいものではなくなっていきました。 そもそも新しいものが好きな私は、「この機会に会社を飛び出して、自分で何か新しいことを始めよう」と起業を決意。かつてフリーエンジニア時代に立ち上げたAndroid研究会『KUNOICHI』を母体に、株式会社KUNOを設立したわけです。メンバーは私を含め2名、取引先はほぼゼロから開拓し直しでしたが、好きなことを自由にやれるようになったので、大変とは思いませんでしたね。
「Happy-Happy」をビジョンに掲げているのは何故でしょうか。
「世の中をハッピーにして、自分もハッピーになりたい」という私の思いがベースにあります。「Win-Win」という言葉をよく耳にすると思います。あくまで私個人の印象ですが、この言葉は「儲ける-儲ける」という意味合いになるので、あまり魅力的ではありません。 ユーザー、顧客、パートナー、社員などKUNOに関わるすべての人々と、KUNOの双方がハッピーな関係を築いていきたいのです。「TFUG」(TensorFlow User Group)の運営、JDLA(日本ディープラーニング協会)の活動、このあと紹介する長岡(新潟県)での活動も、根幹にはこの思いがあります。 また、一時的に無理をするのではなく、じっくりお付き合いをすることで、永続的な関係を続けていきたいとの思いもあります。このような理由から、「Happy-Happy」というビジョンを掲げ、日々の仕事でもこの言葉を意識するようにしています。
長岡での活動について教えていただけますか。
私は18歳のとき、生まれ育った長岡を離れて上京し、その後40歳で株式会社KUNOを設立しました。実は設立当初から、生まれ故郷の長岡への思いが強く、自分を育ててくれた長岡に、いつか恩返しがしたいと考えていました。 そうした中で、長岡での事業を展開している東京の企業と知り合いました。その企業の紹介で、長岡のAIイノベーション・ハブにオブザーバーとして参加。これがきっかけとなり、長岡で「TFUG」や「Data Discovery Workshop」などのイベントを開催したり、長岡技術科学大学からのインターンを当社のオフィス(東京)に迎えたりしながら、しだいに長岡での活動範囲を広げていきました。 子どもの頃からの夢だった、「長岡まつり大花火大会」のスポンサーになれたときは嬉しかったですね。社員旅行で長岡に行き、社員と花火を見上げたことも良い思い出です。
2020年には長岡に拠点を構えました。その決断について教えてください。
先ほどふれた「長岡への恩返し」ということが、長岡に拠点を構えた第一の理由です。もう一つは、長岡の素晴らしさを世の中へ発信したい、との思いからです。 2020年に実行に移した理由は、新型コロナウイルスの影響により、リモートワーク導入が加速したことが挙げられます。リモートワークがさらに進めば、仕事ではなく遊びやプライベートを基準に住む場所を選ぶ時代がやってくる。そう感じました。 東京一極集中に対する懸念はずっと叫ばれていましたが、リモートワークの一般化は、地方創生を加速させる上で好機となるはずです。長岡に拠点を構えるのであれば、今このタイミングが最適だと考えました。 長岡での活動を通してわかったのは、「新潟のビジネスパーソンは強い熱意と高い協調性を備えている」ということ。私は、こうした方々によるビジネスコミュニティによって、新潟の発展は駆動されると確信しています。そのことを世の中に発信したいのです。
最後に、何故そこまで頑張れるのか、モチベーションの源を教えてください。
この仕事が好きだから、情熱を持って取り組めるのだと思います。好きなことを仕事にして、継続することが一番大事ではないでしょうか。 どんな企業、どんなビジネスでも浮き沈みはつきものですが、“沈み”の期間に継続できるかどうかは、結局その仕事が好きであるかどうか?にかかっています。私が知る限り、成功している人はどんなに沈んでも、批判されても、飽きずに継続している人がほとんどです。とにかく誰にも負けないくらい「私はそれが好きです!」と言い切れることが大切ですね。私自身も、好きなことだから今まで継続できましたし、長岡への進出という長年の夢も果たせました。 代表という立場からもう一つ付け加えると、「Happy-Happy」というビジョンも私を奮い立たせてくれます。私自身がこのビジョンをブレずに掲げ続けることが、社員が迷わず頑張れる源になっていると思います。